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【アラベスク】  第1章 春の嵐



第2節 白い罠 [2]




 美鶴の答えに、山脇は片眉をあげた。
「・・・知ってるの?」
「見るのは初めて」
「え・・・ 覚せい剤って・・・」
 聡が()()る。
「あの、覚せい剤?」
 山脇は、そんな聡の言葉に少し口元をあげたが、視線は美鶴へ向けたまま。
 笑うでもなく睨むでもない。表現しがたい表情の黒い瞳。その瞳に添えるようにサラリと流れる前髪。微かに色気すら漂うのは、本人に自覚があるのかないのか。自覚があっての香りなら、悪戯ごときでは済まぬ程、(たち)の悪い艶色(つやいろ)だ。
「見るの初めてにしては、やけにあっさり当てたね」
「そんな神妙な顔して聞くんだもん。塩やビーズであるはずがないでしょう」
「だからって、覚せい剤だと断定できる? せめて『麻薬』くらいの大雑把(おおざっぱ)な答えを出してくるのが普通じゃない? まぁもっとも覚せい剤は、正確には麻薬ではないはずだけどね」
「え? 覚せい剤って麻薬じゃないの?」
 じゃあ何? と問いかける聡に、山脇は曖昧に首を傾げる。
「なんだろうね? あんまり詳しいワケじゃないからわからないな」
「そうかしら?」
 美鶴の冷たい言葉に、山脇は目を細める。
「ずいぶん詳しそうだと思うけど」
「アメリカでは別に珍しいことじゃないさ。こっちが望まなくっても、クスリの方から近寄ってくる。出会う機会はいくらでもある。でも日本はそうじゃないだろう? 覚せい剤とか麻薬に接する機会なんて、自分で作ろうとしなければ作れない。違う?」
 それは、半分は美鶴への答えであり、半分は問いかけを含んでいる。今度は美鶴が微かに笑った。
「そうでもないと思うけど。最近では、日本でもワリと簡単に手に入るみたいだし」
「そうなのか?」
 目を丸くして口を開く聡に、美鶴は視線を合わせなかった。
 聡は、こういった(たぐい)の事柄には(うと)い。小さい頃からそうだった。背の高さと凛々しい顔立ちから迫力があって役に立つと思われたのか、万引きやら恐喝やらに誘われたこともあるらしい。だが、そういったモノには手を出さなかった。
 美鶴は下を向き、言葉を続ける。
「それに、心当たりがあるからね」
「心当たり?」
「うん。きっと、学校内の生徒なら誰だってピンとくると思うよ。よっぽど鈍感な人間でない限り」
 聡と山脇は眉をしかめる。
「春休みにウチの学校の生徒が一人、自殺したのよ。でね、調べたらその子、覚せい剤の中毒だったんだって」
「覚せい剤の・・・・」
「・・・中毒? 自殺? そんな話は聞いたことないぞ」
 顔を上げ、問いかける聡に冷ややかな笑みを返す。
「転入生なら知らなくても当然よ。非公開事項だもん。当然でしょう。県下一の進学校よ。しかも通うのは良家の子女ばっかり。名門校なんだから、生徒がクスリやってたなんてのが知れたら一大事よ」
「でも美鶴は知ってる」
「私だけじゃない。誰だって知ってる。隠したってバレるもんはバレるのよ。マスコミには金で口止めしてる。学校と教育委員会と警察が隠密で調査してるみたいだけど」
 二人の転入生という華やかな噂の陰で、教師の目を盗んでは囁かれる負の噂。どちらも生徒にとっては、平凡な日常をドキドキさせてくれる、まさに甘美な幻薬。
「どこからどうやって手に入れたのか。他にクスリやってるらしい子も見あたらないって。それ以上は私は知らない」
「その覚せい剤がここにある」
 山脇と聡の鋭い視線を、美鶴は平然と見返した。
「私じゃない。もし私だったら、聡が壊してしまう前にキーホルダーごと取り上げるわよ。そう思わない?」
 三人の視線がまっすぐに絡み合う。
 美鶴は黙って二人の視線を受ける。疑われているのはわかった。自分は疑われている。そう、自分はいつもこんな役回り。
 里奈(りな)の隣で、何も知らずに笑っていたあの頃。陰で自分がどんなにバカにされているのかも知らず、自分を蔑む少女を親友だと思って慕っていた・・・あの頃。
 あの頃の自分なら、きっと今回も疑われて犯人にでっちあげられてしまうだろう。
 だが、今は違う。私は昔のようなバカではない。誰も信用しないし、誰にも頼らない。
 挑むような美鶴の瞳から、最初に視線を外したのは山脇だった。その顔は、少し笑っているようにも見える。
「たしかに」
 その一言で、場の緊張が解けた。聡などは、大袈裟(おおげさ)に息を吐く。
「だよなぁ。美鶴がヤクなんてやるわけねーもんな」
 あっさりと誤解を解いた二人に、美鶴は拍子抜けした。だが、油断はできない。信用したと見せかけても、その腹の中で何を考えているかはわからない。
 そんな美鶴の心内を知ってか知らずか、山脇は手にした薬をフラフラと振って見せた。聡は人差し指を唇に当てる。その瞳はいつの間にか、柔らかな雰囲気を漂わせる美しい混血少年と、小さな瞳に笑みをたたえる無邪気な幼馴染のものに戻っていた。
「落としたヤツの心当たりは?」
「ない。いつ落とされたのかもわからない。公園を散歩している人が入ってくることもあるし、私がお手洗いとかで出て行くこともあるしね」
「まぁ、そうなると、ここであれこれ考えるだけ時間の無駄ってことか」
「そういうことかも」
 山脇が、やれやれと首を振る。
「となると、この場合やっぱ警察に届けるべき? それとも日本の場合はまず学校へ知らせるのか?」
「警察がいいと思う。学校となると、まず誰に知らせればいいのかわからない」
「じゃ決定。警察行こ」
 聡がパチンッと指を鳴らす。だがそれを、大きな掌が制する。
「いや、やっぱり・・・それはやめた方がいい」
 山脇の言葉に二人は目を丸くした。
「それって?」
「だから、警察になんて行かない方がいい」
「なんで? 警察行くか?って言ったのはお前だぞ」
「それはそうだけど・・・」
 山脇は首をすくめる。
「このキーホルダーを持っていって『覚せい剤が入ってました』なんて言ったら、相手はどう思う?」
「どうって・・・」
 悩んだところで答えなど出ないのだろう。山脇もそれを承知しているのか、考える時間など与えずに先を続けた。
「さっき僕が大迫さんに言ったのと同じ」
「え?」
「どうしてこれが覚せい剤だとわかったか? そこんとこで疑われると思うよ」
「でも、ちゃんとした理由があるし」
「理由がどうあれ覚せい剤をそれと認識できたんだ。僕達も覚せい剤の経験者だと疑われるかもしれない」
「お前はどうだか知らねーが、美鶴には正当な理由があるぜ。疑う余地ねーだろ」
「学校に中毒者がいたから? そんなのは理由にはならないだろう?」
「それにしても、俺達を経験者と疑うなんて、ちょっと飛躍し過ぎてないか?」
 思わず声を大きくする聡に、山脇は苦笑した。
「警察なんて、そんなもんさ。日本とアメリカじゃあ違うのかもしれないけど、疑うってことに関してはあんまり変わらないんじゃない? むしろクスリの蔓延(まんえん)率が低い日本の警察の方が過敏に反応しそうだけど」
 美鶴は目を閉じた。
 先ほど自分がこの二人に疑われたように、今も疑われているかもしれないというように、警察でもまた疑われるのかもしれない。そうだ。自分は友人もいないし家庭も裕福ではない。そういう自分に対してなら、警察は迷わず疑いをかけるだろう。
「今まで覚せい剤をやったことがないか、しつこく問い詰められると思うね」
「確かに・・・ね」
 意見の一致した二人を交互に見ながら、聡は大きく口を開く。
「だからってさ、じゃあどうすればいいんだよ」
「なかったことにすればいいのさ」
「なかったこと?」
「そう・・・ 僕達はここで何も見なかった。見つけなかった」
「そんなっ」
「そもそも、これを警察に持っていったところでどうなる? その自殺したとかいう生徒とは全く関係ないのかもしれない」
「持ち主を見つけて捕まえることができるだろう。そいつがその自殺したって子にクスリを渡してたのかもしれない。他にもクスリ貰ってたり、買わされてたりしてるヤツがいるかもしれない。この持ち主を探せば、そういう奴らを助けることだってできるだろう?」
「どうやって見つける? こんなもので」
「指紋とかついてるかもしれねーぜ」
 山脇は視線を手元に落とした。キーホルダーを親指と人差し指でクルクルとまわす。
「こんな小さいうえに、君や僕や大迫さんの指紋がベタベタついてるんだよ。その下から使える指紋を取り出すのはそんなに簡単なことじゃないと思う。手間も時間もかかる」
「でも警察なんだから、俺達の知らないような手順でパパッと犯人割り出すかもしんねーぜ」
「警察はそれほど万能でもないし、意外と普通だよ。それに・・・」
 言葉を切る山脇を、二人は無言で促す。
「・・・仕事を選ぶよ。警察は」
 それが警察への侮蔑であるのは明らかだ。そして、昨今のニュースを見聞きする限り、美鶴も聡も否定はできない。少なくとも、多くの庶民は警察に対してそういうイメージを持っている。
「仮りに持ち主が見つかったとしても、知らぬ存ぜぬの一点張りだよ。自宅にでも隠し持っていれば別だけどね。それよりも、クスリをやってる奴らが集まりそうな場所に目をつけて現場を押さえたほうが確実だ」
「私も賛成」
 ようやく山脇の言葉が途切れたところで、美鶴が口を開いた。
「そもそも、面倒に巻き込まれるのもヘンに疑われるのもごめんだわ。それに」
 そこで一度言葉を切り、小さく息を吐く。
「それって、本当に覚せい剤なの?」
 その問いに、その場の誰もが明確な答えを出すことはできない。
「そうだね」
 山脇はゆっくりと、一度だけ瞬く。
「覚せい剤なんかじゃあ、ないのかもしれない」
「じゃあ、それは?」
 山脇の指先の動きがピタリと止まる。
「そのへんにでも捨ててしまうさ」
 そう言って白い結晶の入った小さなビニール袋を筒に戻す。そうして多少時間はかかったが、キーホルダーも元の状態に戻してしまった。これで、この中に何があるかは全くわからない。なんの飾りっ気もないキーホルダーだ。
「帰りに、コンビニのゴミ箱にでも捨てとくよ」
 キーホルダーをズボンのポケットに仕舞うと、山脇は顔をあげた。
「もう暗い。帰ろう」
 その言葉に、美鶴は辺りを見渡した。腕時計を見るとすでに六時を過ぎている。
「わっ 暗いな。気づかなかった」
 扉を開けてあたりを伺うように外へ出る聡。その襟を、山脇がツンッと引っ張った。
「ちょっと待って」
 そして肩越しに振り返る。
「仕舞ったら?」
 美鶴の手には鞄と英語の教科書。結局、予習も復習もできなかった。







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